2016年10月13日木曜日

書評「常盤台住宅地物語」(2018年7月記)

近年、板橋区に関する書籍の出版が増えています。
若い読者を想定した、地形探索や飲食店情報を取り上げた本は結構売れ行きもよいと聞き及んでいます。
   
他の記事でも書きましたが、板橋区は老人優先の街で、高度成長期の変遷を知らない世代の人にはあまり面白みのない土地ではないかと思い込んでいました。しかしこれらの本は「若い人には若い人なりの板橋区がある」という当たり前の事実を改めて認識させてくれます。ネットでも若い世代向けの板橋区情報ポータルサイトがいくつかできています。日本の各地で見られる、若い人の地元回帰志向とも一致しているかもしれません。

その中で、去る20186に「常盤台住宅地物語」という電子書籍が出版されました。
著者の中湖康太氏は常盤台生まれで、幼少期から常盤台住宅地の巧みな構造に魅力を感じてきたと言います。海外在住を経て、今はときわ台駅前マンションに事務所を構える経済評論家としてご活躍です

中湖氏は数年前から常盤台に関するブログを書いていたそうで、その記事をまとめて有料電子書籍の形としたものと見られます。本ブログ筆者はこれを読むためにKindleをダウンロードしましたが、ページ番号がふられていないため記述の参照に不便を感じました。スマートフォンを持っていないため、ダウンロードした端末の前に座らないと読めません。
また、ブログ記事を直接電子書籍にしたことに由来するのか、既に削除されている記事へのリンクがそのままになっていたり、同じ文章が繰り返し掲載されていることも気がかりでした

本書では常盤台住宅地の成り立ちについて、東武鉄道初代社長・根津嘉一郎の功績にスポットをあてて、その顕彰を行っています。   
これは、当ブログ筆者にはついぞ持ち得なかった視点でした。

根津嘉一郎は東武鉄道創立期の発展に多大な功績を残した人物であるということはもちろん知っていましたが、合併した旧東上鉄道にも心配りを忘れず、田園都市の理想と企業利益の両方を追い求めて形にした街が常盤台であるという主張には、教わること少なくありません。当ブログでも早速参考資料として、これまでの見解をいくつか改め、関連記事の加筆・削除修正を行いました。
  
さらに、中湖氏ご自身が事務所としている駅前マンションの建設は、常盤台の経済効果を利するものであるという主張も鮮やかです。具体的な数値を伴っているため説得力があります。

このマンションに関しては建設計画発表当時、地元で景観を阻害すると強い反対運動が行われ、司法判断まで仰いでいます。景観は大切でも、時代に沿ったものでないとかえって街の活力を削いでしまうという事実や、マンションには常盤台住宅地から転居してきた人もいて地域と共存しているという現実の指摘は貴重です。反対派住民が企画するバザーにも出品して、なごやかに談笑しているうちに反対派住民が、あのマンションに住んでいる人だ!と気づいたというケースもある模様です。 


他方、首を傾げざるを得ない記述もみられました。誤字脱字や文章上の誤りについては割愛しますが、主張や説明が誤っている箇所については見過ごせません。

明治初年、加賀藩屋敷跡に火薬製造所が作られたことが志村地域の発展を促したという趣旨の説明がなされていますが、ほぼ誤りとみなせます。
  
当ブログで幾度か説明した通り、志村地域の開発は大正(1920年代)の関東大震災復興事業で、甲種工業特別地域に指定されたことが契機です。1870年代の火薬製造所設立からおよそ50年の時が経過しています。

火薬製造所は、旧板橋町地区の近代化をもたらしました。旧宿場の大火被災や、日本鉄道の開通・板橋駅の開業(いずれも1880年代)が促進要因となっています。
  
対して旧志村地区は、1920年代に中山道新道建設計画が立案されるまで徳川政権時代ほぼそのままの状態でした。新道計画は東武鉄道の西板線計画撤回に大きく影響したと考えられるため、ここは間違えてほしくなかったポイントです。

中湖氏はご専門を生かして、たくさんの数字やデータをあげて常盤台の魅力を解析して、様々な規制や法令上の位置づけにも精通されておいでです。おそらくご本人は極力わかりやすく伝えるように工夫なされているかとは存じますが、本ブログ筆者は失礼ながらテレビ番組「笑点」で林家こん平師匠が一時期毎週のように言っていた

「わたくしには、そういう難しいことはよくわからないのですけれど!」

のセリフを思い出します。

もっともこのブログも、著作権の兼ね合いで都電運転当時の写真を載せられないとはいえ、「あの本の何ページ上段に掲載されている写真は…」と、その本を持っている人でないと理解できない話を各所でしていますから、わかりづらさという面で文句をつける資格は有していないのかもしれません。


「ときわ台駅の乗降客数が近年伸び悩んでいる」というデータ紹介の項目ではその要因として、景気の動向や地価水準、住宅地の魅力度などをあげていましたが、常盤台の地元以前に

東武鉄道が近年輸送障害を頻発させていて、鉄道としての信頼性が低下している

ことが第一の要因ではありませんか。
 
現在東武鉄道に勤務している職員たちは無礼だった先輩方とは違い、日々真摯に乗客に向き合っているものと信じています。しかし。多い時にはおよそ10日に一度は何らかの事故や点検で運転が止まるという事実から目を背けてはなりません。

以前は職員にどれだけ威張られようとも、東武鉄道を利用する他ありませんでした。
しかし近年はインターネット、SNSの時代です。

輸送障害で電車が止まると、twitterなどには乗客であふれるホームの状況がたちまち投稿されます。止まることの多い路線名がトレンド欄に現れると、「あー、またか。」という嘆きの反応が投稿されます。それは長年マスメディアになぜか過剰にひいきにされていた東急電鉄の路線でも同じです。
  
電車が止まって予定を狂わされたことに腹を立てて、職員に怒声を浴びせる乗客には冷ややかな目が向けられますが、だからといって鉄道会社の味方には決してなりません。輸送障害の多い路線からは、黙って人が離れていきます。

ましてどこかの国の大統領のように「ケイカン・ファースト」で気位の高い住民が大勢いる土地とわかると、他所から来た人はなおさら逃げ出したくなるでしょう。

東武鉄道では数年前に、中板橋駅付近で走行中の電車の台車に亀裂が入り丸一日動けなくなる事故が発生しましたが、2017年に新幹線で同様の事故が起きた際には先例として、板橋区内で動けなくなった東武鉄道電車の映像が使われ、全国に放送されました。
  
信頼性の低下とはそういうことです。

ときわ台駅のお客さんを増やしたいのならば、まず鉄道としての信頼性を保つこと。

乗客と沿線住民の安全を第一に考えること。

これに尽きるのではありませんか。
  
中湖氏も、常盤台住宅地住民も、東武鉄道を甘やかしすぎてはいませんか。戦後の常盤台は根津の理想が霧消してしまった街であり、東武は埼玉県内に次々と宅地造成を行い、常盤台に構う余裕などなくなったという現実を真摯に受け止めていただきたいと願います。 


さらに「常盤台住宅地物語」には、現在の常盤台が一番に検討するべき重要な視点がすっぽりと抜け落ちています。中湖氏は都内の他高級住宅地との比較を試みて、田園調布・成城・渋谷松涛・吉祥寺における景観・住環境保全のための規制事例をあげています。

これらの街ではとうの昔に消えて、常盤台だけが今でもしつこく抱えているものがありますね。
 
そう、鉄道の踏切 です。

この著作では初めから意識していないのか、それとも意図的なものかは存じませんが、踏切の危険性と将来の鉄道立体化事業対応の話題にひと言もふれていません。あのマンションでお仕事をなされているのならば、防音があるにせよ、嫌でも警報音がひっきりなしに耳に入るはずですが、当たり前すぎて意識にのぼってこないのでしょう。
  
本書では、2014年にときわ台駅開業80周年を記念して開かれた講演会の模様についても記されています。東武博物館の花上氏と、テレビ番組「ブラタモリ」にも幾度か出演した鉄道総合技術研究所の小野田滋氏を招いて、旧ときわ台駅舎の建築物としての位置づけについてお話されたといいます。南宇都宮駅と同じ設計という話も、その場で取り上げられて地元に知られるところとなった模様です。「景観を守る会」ではその後宇都宮見学ツアーまで組んだそうで、それらのロビー活動が2018年の”復元駅舎”建設に向かわせた節がうかがえます。中湖氏が復元駅舎を手放しで絶賛しておいでなのは「常盤台愛」ゆえに当然のことでしょうが、将来のことまで考えて、もう少し視野を広く取っていただきたかったところでした。

地域住民の安全を後回しにする景観保全活動は空疎です。
さらに言わせていただくならば、常盤台住宅地自体は確かに住民のものでしょう。
しかしときわ台駅は、もはや住宅地の住民だけのものではありません。
周辺近隣町内に住む人、通勤通学の目的とする人、国際興業バスで志村や赤羽、王子、高円寺方面から来る人もあわせた公共施設です。
本ブログ筆者も含めて、東武鉄道に乗らない人の暮らしの利便性まで考慮する責任を持った施設です

 2018年春に板橋区が発表した「都市づくりビジョン」では、東武鉄道の立体化が最優先課題と位置づけられています。立体化なくしては達成できない目標も多数掲げられています

立体化は、区内全域(下板橋の東上鉄道碑付近~成増の都県境付近)の一括地下化が最も望ましいことは改めて申し上げるまでもありません。地下路線ならば”復元駅舎”もそのまま活かせます。優等列車用の通過線を作り複々線化するのならばなお結構です。中板橋の通過待ちをなくせますし、TJライナーでも快速急行でも快速でも、準特急でも快特でも新快速でも(?)増発し放題で、板橋区民と埼玉県民の利便性に大きく寄与できます。
  
しかし板橋区では大山駅付近、ときわ台―上板橋間と分割で協議したい方針を持っている模様です。大山金井町の山手通り交差地点~大山駅~仲町間について、高架線による立体交差事業認可が2020年度にも出される見通しと伺いました。

今の流れでは、ときわ台-上板橋間についても高架線化を提示される可能性はかなり高いと考えています。その際、事業着手と同時におそらくは高架橋脚建設の障碍となる”復元駅舎”の解体に同意する覚悟はお持ちですか。中湖氏の著作や景観を守る会で発行している「まちづくりニュース」を拝見していると、景観や駅舎保全を理由にして、せっかくの立体化事業に反対の声があがりかねないと懸念しています。

  
そろそろ、住宅地と駅前を分けて考える発想が出てよいころと思います。
  
住宅地は文化財に準じた位置づけとして、今後とも末永く保全して、優れた景観を作る。
(その代わり住民には、これまで以上にレベルの高いマナーが求められます。朝早くから興奮して吠え立てたり、ただ門前を通るだけで腹を立てて吠えかけてきたり、人の家の塀にマーキングして平気で立ち去る”お犬様”を飼育することは許されません。)

駅舎や駅前は、東武鉄道分譲住宅地以外の利用者の安全と利便を第一に考える。

次世代の常盤台地域住民が賢明な選択を行えるように願ってやみません

巻末には、常盤台地域で街づくりと保全に取り組んでいる方々のインタビューが掲載されています。町会長さんたちは周辺地域のことについても視野に入れたお話をされていますが、しゃれ街や守る会の人は常盤台住宅地のことしか考えられないご様子で…残念です

しゃれ街の人は「緑化、調和、安全」とおっしゃっていますが、「安全>調和>緑化」の順番ではありませんか?  

「まちづくりニュース」では、中央図書館の移転計画などにも「民主的でない」といちいちかみついていますが、自分たちにとって都合がよく、周辺住民にとっては不便な案件についても同じように「民主的でない」と言えるのでしょうか。それができなければ、それこそどこかの大統領の品性と同じレベルです。


繰り返しになりますが。

「安全」に勝る住宅地景観はあり得ません。

常盤台に関わる方々に、ぜひ基本認識としていただきたいと願います。


「常盤台短歌」は、失礼ながら愛嬌のうちかもしれません。
短歌というよりもスローガンに近い印象です。
季語が必要なものは俳句で、短歌は自由に詠めます。
本ブログ筆者は、もう少し生活者の視点を取り入れていくつか詠んでみました。


【常盤台短歌】


(常盤台教会付近)

夏至近し
影絵のごとき教会の
鐘を飾りしあかね雲かな


冬の朝
ヒマラヤ杉を染め上げる
紅き太陽早足止める

1月の正月休み明けの645分頃、常盤台三丁目北角診療所前から通りを渡ると、駅前ロータリーヒマラヤ杉の方角からの日の出が見られる。


(住宅地にて)

フットパス
どこか謎めく細い路地
過去へと向かうトンネルに似て


寺子屋のごとき広間で
公文式プリント解いた
正座の温み


夜汽車明け
家路を急ぐ朝風が
薫る五月のプラタナスかな

※かつて全国を旅行していた頃、寝台列車を愛用していた。日曜の朝7時すぎに常盤台に帰着した時の清々しい空気は今でも記憶に残されている。



ぽっかりと
ある日現る空き地にて
慌てて探る記憶の家よ


またひとつ家壊されて
母の知る街の面影
風へと消える



(ときわ台駅)

踏切は
今日も鳴る鳴る冷徹に
街ゆく人の心遮り


氷菓下げ
各駅停車のすぐ後に
佇む急行眺める夕べ


誠の碑
見て見ぬふりの新駅舎
ひとりよがりの空疎な瀟洒


住民の無視にもめげず
頼もしく地域を担う
みどりのバスよ