郷土資料館では記念の硬券を用意していて、日付印字体験もできました。
硬券切符の日付印字器は「ダッチングマシン」というそうです。
それを用いて券面に日付を記すことも「ダッチング」と言っています。
珍しい言葉と思いましたが、装置には「DATING MACHINE」と大きく刻印されています。
誰がどう読んでも「デーティングマシン」ではありませんか。
デーティングならば一般の人にも何のことかすぐ見当がつくところ、なにゆえにわざわざ不自然なローマ字読みが定着しているのでしょうか。不思議な業界です。
会場は照明を抑えていることもあり、券面を細かく観察できませんでしたが、ありがたいことに図録できれいに収載されています。
69ページには大山駅発行、池袋から国電のりかえ地図式乗車券の写真が掲載されています。
「地図式乗車券は戦後に復活し、1974年の国鉄の旅規改定まで使用された。」と説明されていますが、論より証拠です。
1980年代に東京南および 千葉鉄道管理局の駅で発行 された地図式乗車券。 (本ブログ作者コレクション) |
「日本国有鉄道旅客および荷物輸送規則」では第189条に「常備片道乗車券の様式」という項目があり、地図式も定められています。1974年に地図式が削除されたという記録はありません。JR発足時の営業規則にも受け継がれています。
(Webサイト「デスクトップ鉄のデータルーム別館・旅規ポータル」による)
硬券切符コレクションサイトによれば、九州北部(門司鉄道管理局)では民営化直前まで、首都圏では私鉄委託駅で1991年ごろまで発売されていたと記されています。
★ 板橋区への連絡運輸乗車券
「いたばし大交通展」では、板橋区内の駅で発行された乗車券だけが展示されていましたが、ここでは他区・他県の駅から東武への連絡乗車券をいくつか紹介します。
関越道など高速道路が整備される前は、東上線にも秩父方面への行楽特急がたくさん運転されていました。本線系統の特急とは大きく異なり、ロングシートの通勤用車両が充てられていていました。もちろん特急料金は不要です。
秩父鉄道への乗り入れ列車もあり、「三峰口行き」は日常風景のひとつでした。
当時秩父鉄道では東武の各駅を連絡運輸対象にしていて、写真(1982年発行)のような乗車券が常備されていました。(2019年現在でも規定が存続しているかどうかについては調べられませんでした。)
この切符の地紋には「JPR てつどう」と記されています。
JPRとは何の略でしょう?
国鉄の切符地紋は動輪マークと「JNR こくてつ」。
そこから考えるとJapan Private Railway、すなわち「私鉄」のことかもしれません。
国鉄の駅では駅名指定の相互矢印式連絡乗車券がありました。(1973年発行)
この時代既に自動販売機はありましたが、国鉄線30円区間、40円区間など単一料金の切符を販売する機械のみで、その他の乗車券はまだ旧式の硬券で対応していました。
水道橋駅で発行された硬券連絡乗車券です。1973年の同じ日付ですが、大人用と小児用でデザインが異なります。大人用は金額式、小児用は相互矢印式です。おそらく同じ窓口で買っていたはずです。考えられる理由としてはこの時期に金額式への変更が行われて、先に在庫のなくなった大人用から切り替えた、あたりでしょうか。
ICカードが普及するまでは、駅の券売機で様々な路線への連絡乗車券が販売されていました。
旅客連絡運輸規定では細部にわたり膨大な区間が定められていて、それに沿って券売機の設定を行っていましたが、実際には連絡運輸対象外の駅まで乗車しても、着駅で差額精算するだけで済みます。割引がない限りは特に問題ありません。しかし割引される場合は厳密に適用する必要が生じます。
いつのまにか見かけなくなりましたが、以前池袋駅では国鉄の券売機で
「渋谷乗り換え東横線武蔵小杉経由、南武線の駅行き」
という乗車券が販売されていました。地図式の運賃案内板も掲示されていました。
この乗車券は「通過連絡運輸」の規定を適用したものです。
南武線の向河原や武蔵新城など、武蔵小杉から近い駅限定で、池袋-渋谷間と武蔵小杉-着駅間の運賃計算距離を通算して、それに東横線の運賃を加えた価格でした。
すなわち国鉄分が割引になっています。
新宿から小田急経由、登戸乗り換えの通過連絡運輸も設定されていました。
この乗車券で尻手など通過連絡運輸範囲外の駅まで乗車したら、着駅では池袋-渋谷間と武蔵小杉-着駅間を別途計算した料金との差額を精算することになっていたでしょうか。
★ 板橋区の駅で東海道本線の切符が直接買えた時代
ここまで書いた後、有名ネットオークションで
「ときわ台から池袋・東海道線経由豊橋行き」
の連絡乗車券(硬券)を見かけました。1970年(昭和45年)1月15日発行です。
買いませんでしたが、昔は板橋区内の東武の駅で国鉄の長距離乗車券を売っていたということは初めて知りました。
落札した人には失礼ですが、出品中に画像をじっくり拝見しました。
準常備式といわれるタイプで、切符の長辺を縦にして印刷されています。
「着駅は最下段」という表示があり、運賃表が記されています。
金谷 910
袋井 990
浜松 1070
鷲津 1160
豊橋 1240
切符の下辺は微妙に斜めになっています。縦横比も硬券A型・D型標準とは異なっていて、もともとさらに下まであったものを、豊橋の項目で切り取ったと考えられます。
この価格と駅名選択には何か意味が隠れているでしょうか。
裏面の画像には「発売日共3日間有効 ときわ台駅発行」と記されています。
これは大きな手がかりです。
手元にある「国鉄監修 交通公社の時刻表 1970年8月号」を参照しましょう。
当時、東武のときわ台-池袋間の運賃は20円です。表示されている運賃は、国鉄の東京都区内発の運賃に20円を加えた額と推定されます。
3日間有効は201km以上400kmまで。
おそらく豊橋から先も印刷されていたのでしょう。
表示されている駅は、20kmごとの運賃区分を示していると考えられます。
金谷(東京から212.9km、以下同様):201~220km、国鉄890円+東武20円
袋井(238.1km):221~240km、国鉄970円+東武20円
浜松(257.1km):241~260km、国鉄1050円+東武20円
鷲津(276.6km):261~280km、国鉄1140円+東武20円
豊橋(293.6km):281~300km、国鉄1220円+東武20円
で説明がつきますが、隣の西小坂井(298.4km)も豊橋と同じ運賃のはずです。誤記か、それとも主要駅を表示したものかはわかりません。
切り取られた部分には以下の記載があったものと推定されます。
幸田 1330 (301~320km)
東刈谷または安城 1410 (321~340km)
共和または大府 1490 (341~360km)
※笠寺駅(356.8km)までこの範囲に入るが、大高と笠寺は名古屋市内の扱い。
稲沢 1580 (361~380km)
※名古屋市内(366.0km)表記ではない可能性が高い。
岐阜 1660 (381~400km)
3日間有効連絡乗車券があるということは、2日間有効バージョンも作られていた可能性があります。券面上部には「ろ」と記されていて、東海道線方面準常備券の「ろ」とすれば、2日間有効券を「い」として作っていたでしょうか。
当時は51km以上200kmまで2日間有効でした。この区間は湘南や伊豆が含まれていて、常連のお客さんがいた可能性もあります。
<発売日共2日間有効> 国鉄の東京電環発運賃(※)+東武20円
(※)「東京電環」は現在の「東京山手線内」のことで、1972年に改称されています。
茅ヶ崎 260
大磯 300
国府津 340
早川 380
湯河原 420
函南 490
東田子の浦 570
由比 650
草薙 740
焼津 820
※51~100km(藤沢~湯河原)の運賃区分は10kmごと。
岐阜以遠の4日間有効バージョンは存在したでしょうか。
4日間有効区間は401~600kmで、京阪神地区がカバーできますが、後述の理由より作られていない可能性もあります。存在すると仮定すれば
<発売日共4日間有効> 国鉄の東京都区内発運賃+東武20円
大垣 1750
醒ヶ井 1830
彦根 1910
近江八幡 2000
石山 2080
京都市内 2170
大阪市内 2250
神戸市内 2330
※501km以上(大津市の膳所駅以西)の運賃区分は40kmごと。
となるはずです。
国鉄最終期(1986年)の連絡運輸規程を参照すると、東武鉄道については東武側各駅と、東海道・山陽本線および呉線各駅間が指定されています。これにより、ときわ台から東海・関西方面まで1枚の乗車券が発行できます。もっとも自動券売機や国鉄のマルス指定券発行機が普及すると、売るほうも買うほうも池袋駅で国鉄分を購入する方法がはるかに楽になったでしょう。私自身、他の人が買う場面も含めて見たことがありません。今回出品された乗車券は、ときわ台駅に自動券売機が導入される時期前後だったことを示しています。
現代のJR線では東武との連絡運輸区間がかなり縮小されて、中京・関西方面はなくなりましたが、それでも甲府、黒磯、水上や千葉・房総方面は生き残っていて、規則上では1枚の乗車券に収めることができます。
同オークションの過去の出品事例も調べてみたところ、「1967年5月8日発行 成増から豊橋行き」と「1970年5月1日発行 大和町(和光市)から西小坂井行き」が発見されました。当時豊橋市まで頻繁に出かける人がいたのでしょうか。それとも東武側の発駅が異なりますから、豊橋駅で回収した職員が「珍しい切符」として、あえて処分しなかったのでしょうか。現代でも硬券の準常備連絡乗車券を発売している地方私鉄があり、それで新幹線に乗ると改札の駅員から、少し鑑賞させてほしいと頼まれるというお話も聞きます。
成増券は通用日欄も設けられています。すなわち有効日数ごとに作るようになったのはモノクラス改定時(1969年)と推定されます。
二宮 320、2日有効
小田原 360、2日
真鶴 410、2日
富士 580、2日
豊橋 1130、3日有効
大和町券はときわ台券と同時期で、3日有効区間用です。「ろ」表記があります。
焼津 850
金谷 940
袋井 1020
鷲津 1190
西小坂井 1270
まず、成増のほうから解析していきましょう。等級制の時代です。
当時の成増-池袋間2等運賃(東上線に1等車はありませんが、運賃表は「2等」として作られています)は50円です。
国鉄の2等運賃は1966年3月5日改定版です。(Webサイト「デスクトップ旅の雑記帳 旅規改訂履歴1958-1987」より)
51~100kmは5km区分で、1の位を3か8に固定した上で、1kmあたり3円65銭として、得られた金額の10円未満を切り上げる。
101~400kmは10km区分で、1の位を5に固定した上で、1kmあたり3円65銭として、得られた金額の10円未満を切り上げる。
この規定により、二宮(73.1km)は73kmとして、266円45銭→270円。東武50円を加えて320円。小田原(83.9km)は83kmとして、302円95銭→310円。東武50円を加えて360円。豊橋は295kmとして1076円75銭→1080円。東武50円を加えて1130円です。
しかしこの切符は奇妙です。抜けている区間が多すぎます。
熱海、三島、沼津、静岡、浜松に対応しないなど、当時の常識ではありえません。
これら主要駅行きは個別の常備券を成増駅で作っていたという仮説も成立します。
富士や豊橋は東海道線の中でもそこそこの需要にとどまる駅とみなされていたでしょうか。
大和町券は東武の加算運賃が50円ですが、こちらも浜松が抜けているため、「東武鉄道 大和町から磐田・浜松ゆき 池袋・東海経由 発売日共3日間有効 1100円」の常備券が用意されていたと考えられます。
西小坂井が正確に記されている一方で、焼津(193.7km)は明らかに誤りです。
運賃850円(東京電環→焼津800円+東武50円)は合っていますが、有効日数は2日で、この連絡乗車券における取扱範囲外です。
これらの切符は豊橋駅の駅員を驚かせるほどですから、当時から東海道・関西方面に出かける板橋区住民は、池袋で国鉄分を改めて買う人がほとんどだったのでしょう。
以上を勘案すると、ときわ台駅はじめ板橋区内の駅や大和町駅で、都区内から401~600km区間4日間有効区間用準常備券が作られていたかどうかは、さらなる発見が必要となります。
名古屋市内、京都市内、大阪市内、神戸市内は一般式常備券(東武鉄道 ときわ台から神戸市内ゆき 池袋・東海経由 発売日共4日間有効 2330円など)を作っていた可能性があり、他の滋賀県内や芦屋など阪神間の駅行きは、わざわざ作るほど需要がなかったとも考えられるためです。
それでは、逆方向の連絡運輸にはどう対応していたのでしょうか。
豊橋はじめ東海道線の東京から離れた駅で、東武連絡の乗車券を常備していたとは想像できません。国鉄線内分だけでもたくさんの口座種類を抱えていたはずで、西武、京成、京王、小田急、東急、京浜急行など多くの会社がある、東京の大手私鉄分まではとてもカバーできなかったでしょう。
お客さんが来たら窓口の人は規程集と運賃表を持ってきて、連絡運輸範囲内であることを確認して、表から距離と運賃を割り出し、そろばんで計算して、準常備軟券(発駅のみを記したJNRこくてつ地紋つき上質紙印刷の大判乗車券)に着駅と経由(東海、池袋、東上線など)、金額を手書きして、駅名と発行日のスタンプを押して渡していたものと想像されます。