☆都電撤去計画50周年
今年(2016年)は、都電志村線の廃止から50年の節目でした。
すなわち来年(2017年)の12月には、銀座など都心主要路線の撤去から50年を迎えます。それを機に、ここしばらく目立った出版がなかった都電に関する書籍類の企画がまた立てられるかもしれません。その際には、ぜひ「よい都電本」を世に出していただきたいと願います。
すなわち来年(2017年)の12月には、銀座など都心主要路線の撤去から50年を迎えます。それを機に、ここしばらく目立った出版がなかった都電に関する書籍類の企画がまた立てられるかもしれません。その際には、ぜひ「よい都電本」を世に出していただきたいと願います。
少なくとも、東京都公報の記事は押さえておいてください。
広尾の都立図書館に行けば、いつでも閲覧できます。
東京都公報は、都民に向けて告知する情報集です。
使わないともったいないですよ。
国立公文書館のほうは手続きがやや煩雑ですし、年月を経た紙を直接扱います。破損に注意が必要となるため、どなたでも…とは申しませんが、都電の本を出すという明確な目的があれば、大きな力になることは間違いありません。
既刊の商業用書籍・雑誌のみを参考文献としてお茶を濁すことのないようにお願いします。
既刊本を扱う際にも、もっと写真をよく見てみましょう。
都電の車両だけに視点を置くのではなく、周囲に写っている事物を丁寧に観察するように心がけましょう。得られる情報の量は想像以上のものがあります。
☆「著名バイアス」にご用心
私自身も含め、この世に生きる全ての人は生まれ持った性格傾向に加え、人生経験と信条により、思考方法に一定の癖が現れます。最大公約数的な癖もあれば、その人独自のものもあります。
思考方法の癖により、客観的真実から逸脱してしまう傾向を心理学では「バイアス」(偏見)といいます。バイアスにもいろいろありますが、「著名バイアス」(私が思いついた語で、正式な学術用語ではありません)は趣味や学術の世界でよく見られます。
優れた才能を持ち、多くの業績を残した著名な人の言動ならば誤謬などありえないはず、と思い込んでしまうことです。
近年の、いわゆる「昭和歌謡」再評価の流れに乗る形で、様々な雑誌が松本隆さんにインタビューを申し込んでいます。昭和歌謡の立役者の中には既に物故された方や、人前に出ない方も少なくありませんが、松本さんは実績としては申し分ありませんし、若い頃はメディアと距離を置いていましたが最近はご自身から様々なことを発信するようになったため、最も声をかけやすい方なのでしょう。
ところが松本さんのお話には、時制があいまいなことが少なくありません。
具体例は差し控えますが、ヒット曲や手がけた歌手の順番を逆に語ったり、休養していた時間の長さについて、実際とずれた数字をあげたりすることがしばしばみられます。松本さんが歌謡界の一線でご活躍されていた頃のレコード発売資料は今でも多く残されていますから、少し調べれば前後関係が逆であることはすぐわかります。
しかしインタビューを取る側の人の多くはその時代を生きていないか、ごく幼かった世代の人であるため、「松本さんの言うことならば間違いないはず」と思い込んで、そのまま記事にします。
ご当人は実績と才能に絶対の自信をお持ちで、高飛車も芸風のうちといった感で、周囲も「松本さんだから許される」という見方をしています。ユーミンほどになれば「松本隆は、松本隆のことが一番好きなのですね。」とツッコミを入れて苦笑させることもできますが、ほとんどの人は恐れ多くて注進できません。
その結果、リアルタイムで聴いていた人にはひと目で「おかしい」と見抜けるはずのインタビュー記事が堂々と掲載され、公式資料として残されていきます。
当時作品A→作品Bの順に新曲が出て、それに熱中していたはずの人でも、松本さんが「作品Bの次に、誰それさんから話が来て作品Aを書いた。」というと、作品B→作品Aの流れが正しいと信じ込んでしまいます。
当時作品A→作品Bの順に新曲が出て、それに熱中していたはずの人でも、松本さんが「作品Bの次に、誰それさんから話が来て作品Aを書いた。」というと、作品B→作品Aの流れが正しいと信じ込んでしまいます。
最近はご本人もうすうす感づいてきたのか、
「このごろは、ぼく以上に松本隆に詳しい人がたくさんいて、うっかり何か言うとすぐに“松本さん、それ違いますよ。”と言われる。」
とおっしゃっています。
もちろん、松本さんの詞を書き、それを歌にする才能のすばらしさを損なうものではありません。詞を書くことに関しては天才でも、自分の仕事を細かく整理記録する力は、失礼ながら一般の人とそう大きくは変わらないということです。よい悪いではなく、その方面に向いていないという意味あいです。
都電18系統短縮説拡散の背景には、これと同様の「著名バイアス」が大きく物を言ったと考えられます。鉄道写真の世界の第一人者が、権威ある鉄道雑誌に自信を持って書いた記述ゆえ、まさかそこに誤りがあるとは誰も思い至らないのでしょう。
野尻さんの著書についても同じでしょう。都心方面の路線に対する記述や背景となる教養がしっかりしていて、文章に品があるがゆえに、志村線についての粗は見逃されてしまいます。
人は誰でも得意なことと不得手なことがあります。ある面に対しては冷静で客観的に見ることができても、別の面(主にその人がずっと思い入れを持ち続けてきた対象、あるいは逆に、前々からあまり良い感触を抱いていない対象)に対してはバイアスがかかり、過剰に持ち上げたり、貶めたり、あるいは故意に関心の対象から外したりするものです。
人間とはそういうものであると理解した上で、なおかつ少しでも真実に近づくことを目指す姿勢こそが、最も尊いと考えています。
☆資料を見極める“勘”を磨いて
このブログでは、交通局の人が制作した一次資料の段階で、既に誤りがみられる事例をいくつか取り上げました。ここでも「盲信」は戒められるべきという教訓が得られます。手書きのみならず、活字の時代は誤植がつきものでしたし、担当者の思い込みや不勉強が見逃されてしまうことも少なくなかったでしょう。人はエラーを起こすものです。
後世に生きる私たちは歴史的資料に接する際、ひとつの資料の中でもどの点が真実を反映していて、どの点が検証を必要としているかを見極める“勘”が必要です。証言を聞く際には、その人がどこまで正確に記憶しているか、さらに相手がどのような人生を送ってきて、どのような考え方の持ち主であるかまで洞察しながら、この点はおっしゃる通り、ここは記憶違い、ここはバイアスがかかっている、ここは真実をあまり告げたくなさそうといったことをさりげなく、なおかつしっかりと見抜く力量が求められます。何となくおかしいと感じたら、その心の動きを大切にしましょう。
それには、ある程度の人生経験が必要です。「都電跡を歩く」の著者さんなどは、その意味で若すぎますし、本の執筆に手を出すには時期尚早レベルかと存じます。
☆今こそ、これまでにはないアプローチを
平成に入ってから既に30年近い時間が過ぎました。気づいてみれば21世紀も16年目です。明治の民営電車、大正~昭和戦前の市電を使っていた世代の人はもちろん、戦後全盛期の都電を成人として利用していた世代の人も、そろそろ天寿を全うされる秋(とき)を迎えています。まもなく、系統番号の都電は歴史のうちに入ります。
最後の全盛期に子供として乗車した世代が人生の半ば過ぎまで来た今こそ、歴史としてなるべく正しく伝えていく姿勢が求められています。
それには、これまで先達の方たちが取材・編纂してきた方法とはまた別のアプローチを行い、なおかつ現在の価値観に引きずられない考え方が必要です。
当時の写真で、有名な写真家の撮影したものはこれまでにほぼ紹介されました。
江戸名所図会的な発想で、有名どころから並べていく方法ではこれまでと同じようなものしかできないでしょう。
都電や鉄道に関する基礎的知識に加えて、広い視野と見識を持ち、多くの人とのコミュニケーションに優れた、品のある文章を書ける方を総合監修(制作統括)に据えて、ひとつの系統が起点から終点までどのようなところをどんな感じで走っていたかがわかるような、「絵巻物」的発想がよろしいと思います。しかしこれまで絵巻物式のアプローチを試みた本は、少し辛口に申し上げると、まだひとつも満足の行く結果を出せていません。その原因としては、「都電」だからという理由だけで、一冊の本で全てを網羅しようとしていることがあげられます。
都電が営業していた範囲はかなり広いです。ひと口に東京都区内といっても、歴史も風土も文化も微妙に異なります。都電全体をひとつにまとめてしまう発想は、もう限界に来ているようにも感じられます。
単独執筆ではなく、各系統が運転していた地域に暮らした経験があり、生まれた時代の都合により実際の都電乗車は経験していなくとも、地域の歴史に敬意を持つ人を系統ごとに募り、分担執筆していただく方法がより適切でしょう。
総合監修には、笹目史郎さんのような方がふさわしいと個人的には考えています。
このブログのようにぐだぐだと長く書かず、簡潔に要点をまとめる能力もお持ちです。きっとこれまでにない、斬新な都電の本ができるでしょう。
野尻さんの「東京都電風土記」には難点もみられますが、系統ごとに起点から終点まで綴っていくという「絵巻物」の発想を最初に形にしたことは高く評価できます。あれをビジュアル的に充実させて、時の流れにも耐えられるような本を作ることができれば、都電に対する良き“供養”にもなるでしょう。
☆“神の領域”
「ぽこぺん談話室」の管理者さんは最近、明治・大正期の民営時代・市営初期時代にしか興味が向かないとおっしゃり、その方面の考察を熱心に行っておいでです。
それは学術的にも極めて価値の高い研究でしょう。
その時代の他分野資料をより正確に解読する手がかりにもなりえますし、その時代を描写する創作活動の参考資料としても役立つでしょう。
その時代の他分野資料をより正確に解読する手がかりにもなりえますし、その時代を描写する創作活動の参考資料としても役立つでしょう。
せっかくの成果をより有効に機能させるために、僭越ではございますが、少し希望を述べてもよろしいでしょうか。
江本廣一さんは「鉄道ピクトリアル」で、「高松吉太郎さんなど諸先輩方は、明治の三社時代のことを“神代(かみよ)時代”、“神話時代”と言っていた。会社が解散して資料が散逸してしまい、誰もよくわからなくなっていて、間違ったことも伝えられているからである。交通局の人も”神代”と言っていて、高松さんもそれを聞いていた。」という趣旨のお話を記していました。
すなわち、明治・大正期の民営時代や市営時代初期について関心を持ち、その全貌に迫る試みは「神の領域」に手をかけようとすることでもあります。
関東大震災や戦災で多くの資料が失われ、さらに組織の改編や保管年限に関する内部規定などでほとんどが処分されていると思われますが、その一方で高松さんたちが生涯たどりつくことがかなわなかった事実にも、既に到達できているかもしれません。
「ぽこぺん談話室」に掲載されている成果報告は、私にとってほとんど内容が理解できません。木挽町、尾張町、本石町くらいはまだ何とかイメージできても、和泉橋、芝口、新堀河岸、米澤町などと言われてどのあたりに相当するか皆目見当がつかないレベルです。しかし、貴重な情報であるということだけはわかります。
高松さんや井口悦男さんレベルの話題と、日常の話題、管理者さんの思い出やご家族などの話題、若い女性への関心、さらにはマナーがよく理解できていない方への苦情などがごった煮のように並んでいる姿が現状です。
掲示板に寄せられている明治・大正期の情報を整理して、時系列順もしくは地域別に記すことができれば、相当な研究成果となるでしょうし、現時点でどこまで解明できていて、今後どの点を解明する必要があるか、さらに今からでも検証が可能かどうかについて、明確な形にできます。
100年以上前のことになると、現在や数十年前とは人々の価値観も異なります。それは国家の体制や教育方針という枠を越えているでしょう。今の人は全く問題にしないようなことでも、当時の人には大きな関心事・心配事だった事例は少なくありません。鉄道や街並み、地理に関する知識のみならず、当時の社会状況、風俗全般、気候などに対する知識と理解が必要とされます。
困難かとは存じますが、だからこそやりがいのあるテーマです。
今後益々のご健勝ご発展を祈念しております。