2016年11月7日月曜日

都電本ガイド(7)わが街わが都電

(東京都交通局・編、1991年)

☆震災、戦災、平和…路面電車はいつも見ていた

東京市電気局発足80周年を記念して出版された都電写真集です。全204ページの大判本で、質量ともに充実しています。

最初の章は荒川線の紹介に充てて、当時の最新車両8500形の写真をきれいに載せていますが、第2章に入ると一変します。

完全時系列制を採り、明治の馬車鉄道から始まり、三社民営、統合、公営化、大正時代の街、震災と復興、ハーケンクロイツの旗が掲げられる百貨店、神田錦町隣組コドモタイの手旗信号講習会、焼け野原、進駐軍占領、戦後ののどかな風景がやがて大都会へ…という東京の歴史を、路面電車の写真や絵葉書、石版画などで綴っていきます。特に戦前から戦後にかけての移り変わりは圧巻で、焼け跡に英文看板の写真には当時生まれていない私でも目頭が熱くなってきます。

東京の歴史には、常に路面電車があった。

そのことを実感させるには、これ以上ない構成でしょう。

「風街ファン」としては霞町停留場の7系統側を撮影した写真(93ページ掲載、1957年=昭和32年ごろ)が胸に迫ります。撮影者の背後が6系統との交差点でしょう。霞町の都電写真は案外貴重で、当時の人にはあまり注目されていない場所だったのでしょうか。

3章は営業所ごとに代表的な沿線風景を紹介。乗客たちの姿も載せています。全営業所について車内に掲示していた系統案内図を収載。巣鴨営業所のものは「大和町」「板橋本町」が改称済みの一方で「板橋八丁目」が旧称になっていますから、1956年(昭和31年)版と即答できます。

駕籠町、曙町、指ヶ谷町、初音町、春日町…文京区の町名は、改めてもったいないことをしました。その中で「北部原町」「南部原町」は異色です。小石川原町に停留場を設ける際、どこに置くかでもめた挙句のことだそうですが、原町は南部藩ではなく相馬中村藩でしょう…と不要なツッコミをしたくなります。

乗車券類の写真も豊富で、民営三社時代のものから掲載されています。大東亜戦争完遂の広告まで展示しています。

資料編では井口悦男さんが系統番号の変遷について詳しく記していますが、図が細かすぎて、最近までその価値をよく理解していませんでした。

林順信さんはおそらくご自身で思うところがあったのでしょう、交通局の資料にはあまり登場しませんが、この本では信号塔について解説しています。
林さんの著作「東京・市電と街並み」の影響がかなり感じられるものの、都電全盛期に成人だった世代の方々が総力で取り組んだ、第一級の資料です。
デザインは「都電 60年の生涯」に続いて「アド・クリエーツ」が担当しています。

既に公社の国鉄発足後ですが、未だ「省線」と記されている、1950年(昭和25年)5月版の電車案内図複製が付録です。
欲を申し上げれば1962年(昭和37年)版の複製もつけてほしいところでした。