去る2016年5月28日は、東京豊島区の巣鴨から板橋区のほぼ北端、埼玉県境に程近い志村橋まで、豊島区・北区・板橋区の国道17号(中山道ほか)上に敷設されていた都電“志村線”の最終運転日(1966年=昭和41年=5月28日)からちょうど50年の節目の日でした。
都電志村線・板橋線は、昭和新時代に期待の声が高まりつつも、不況に苦しみはじめた1929年(昭和4年)に巣鴨から芽を出すように軌道を延ばし始め、一億総活躍…ではなくて一億総動員で聖戦完遂を叫ぶたびに戦況が悪化してきた1944年(昭和19年)に志村(志村坂上)に達し、敗戦後の苦しみからようやく脱して高度成長時代の入口にたどりつき、一般家庭にも基本電化製品が普及した1955年(昭和30年)に志村橋まで延び、太い幹に育った路線でした。
しかし、それからわずか11年後の1966年(昭和41年)、ビートルズの来日公演が話題をさらい、「お嫁においで」の大ヒットでハワイアン・ブームが起こり、テレビ番組「笑点」の放送が始まったころ、石をもて追わるるごとく、板橋区から姿を消していきました。
都電志村線・板橋線は、昭和新時代に期待の声が高まりつつも、不況に苦しみはじめた1929年(昭和4年)に巣鴨から芽を出すように軌道を延ばし始め、一億総活躍…ではなくて一億総動員で聖戦完遂を叫ぶたびに戦況が悪化してきた1944年(昭和19年)に志村(志村坂上)に達し、敗戦後の苦しみからようやく脱して高度成長時代の入口にたどりつき、一般家庭にも基本電化製品が普及した1955年(昭和30年)に志村橋まで延び、太い幹に育った路線でした。
しかし、それからわずか11年後の1966年(昭和41年)、ビートルズの来日公演が話題をさらい、「お嫁においで」の大ヒットでハワイアン・ブームが起こり、テレビ番組「笑点」の放送が始まったころ、石をもて追わるるごとく、板橋区から姿を消していきました。
およそ50年前まで、東京都23区内の多くの地域で都電の軌道が網の目のように敷かれていて、主要な大通りに毎日数多くの電車が運転されていたことをご記憶の方、もしくは話に聞いている方は少なくないことと思われます。
しかし、板橋区内にも都電があったという史実は、果たしてどれほどの人がご存じなのでしょうか。
都電全盛時代について取り上げる書籍は数多く出版されています。
当時の懐かしい写真中心の本、鉄道車両形式や技術的な側面に重点を置く本、都電という交通システム自体が時代に嫌われていく過程を記した本など、種類も多彩です。当時既に成人されていた、もしくは10代の学生だった世代の方が作ったWebサイトにも貴重な写真が多数紹介されています。
しかしそのほとんどが銀座を通る“第1系統”からお話を始めるか、撤去計画実施時代に最後まで運転していた墨田区・江東区などの路線にスポットを当てるか、現在の「都電荒川線」の源流である第32系統を中心とするか、もしくは著者・作者の方がかつて親しんでいた路線からお話を始めるスタイルのため、ラストナンバー“第41系統”を与えられた志村線についてはどうしても後回しにされてしまいます。
本来ならば資料をできるだけ収集整理して、区の歴史の一分野として正確に解説しつつ区民に公開するべき立場の板橋区も、残念なことに都電の記録に関してはあまり熱心な様子がうかがえません。
運営機関の東京都は、現役で管理している荒川線の宣伝を優先しなければならない立場であり、板橋区は地下鉄があるからそれで十分、志村線など到底構っている余裕はないというふんいきがありありとにじみ出ています。その上に当時の板橋・志村地区に対する人々の評価や志村線独特の事情も重なり、どうしても「どうせ最後の系統だから」「板橋、志村なんて知らないが、そこに都電があったから仕方なく出かけた」感が、書籍やWebサイトの行間から漂ってきます。
板橋区は自らのアピール方法が普段からどことなく「ずれて」いて、田遊びと高島平と二輪草しかないような印象を周囲に与えてしまうせいか、都電現役時代を知らない世代の人はどうしても地下鉄三田線と高島平のイメージから考察を始めるため、倒錯した歴史観に染め上げられています。いきおい誤りも多く発生して、インターネットを通じて伝播していきます。
それはとても悲しいことと、地元で生まれ育った私は受け止めています。
このブログでは、物心つき初めし頃祖父母に手をひかれて幾度か第41系統の電車に乗せてもらえた経験を記憶の原点としてうっすらと覚えている世代の筆者が、実質的に史上唯一の「板橋区のための鉄道路線」であった都電志村線跡について、廃止(最終運転)50周年にあたる2016年5月28日に志村橋から巣鴨車庫までの8.3kmを実際に歩き、以後10月まで運転当時の写真を参考としながら、断続的に沿道で取材撮影した風景を添えつつ、都電および板橋区について普段思うところを記していきたく存じます。
2016年10月 秋風を待ちわびる街の寓居にて
Windy Tale
【おことわりとお願い】
本ブログをご覧いただくにあたり、予めおことわりとお願いしたい点がいくつかございます。
(1)執筆にあたっては、書籍やWebサイトに掲載されている現役走行当時の志村線電車を撮影した写真を多数参考といたしました。
しかし、それらを直接ブログ記事で取り上げることは一切いたしません。
従って、当時の写真は登場しません。
改めて申し上げるまでもなく、それは他者の著作物および委託保有物の無断転載・盗用に該当する行為であり、人生の先達でもある方々に対して道義的にもよろしくありません。また、あいにく許可を取る方法を存じておりません。
私が志村線に乗せてもらった頃は、カメラや写真の存在は理解しても、それを自分で使う能力を獲得するにはまだ程遠い年齢でした。自分の裁量で載せることのできる写真はひとつも持ち合わせておりません。ハンディキャップではありますが真摯に受け止めて、自分のできる範囲で記していきたく存じます。
記事中、参照した写真について文章で描写する表現が頻繁に現れます。実際の写真をご覧になっていない方にとっては意味不明の記述と存じますが、何卒ご理解くださいますようお願いします。言及写真掲載資料がお手元にある方はご参照の上ご覧ください。
(2)一部の記事では既存の書籍やWebサイトに対して批判的なお話を述べることがあります。
ご覧になる方によっては不愉快な印象を与えかねないことを、あらかじめおわび申し上げます。
インターネットの世界では、非難めいた言葉は送る側が想定する以上の強さを持っていて、相手に悪印象や怨恨・侮蔑の情を芽生えさせかねないことはよく承知しておりますが、都電志村線についてなるべく正しく後世に伝えていくことを目的とした指摘を心がけていきますゆえ、何卒ご容赦ください。
インターネットの世界では、非難めいた言葉は送る側が想定する以上の強さを持っていて、相手に悪印象や怨恨・侮蔑の情を芽生えさせかねないことはよく承知しておりますが、都電志村線についてなるべく正しく後世に伝えていくことを目的とした指摘を心がけていきますゆえ、何卒ご容赦ください。
(3)公式に出版されている書籍や組織で制作しているWebサイトについては書名(サイト名)・著者名・撮影者名の実名を記しますが、個人で制作しているWebサイトは代表的なものを除いて「個人ホームページ」「個人ブログ」と記します。また、板橋区の公式ホームページおよびNHK映像紹介公式サイト以外へのリンクを張ることはいたしません。
(4)志村線沿線の写真に写っている建造物類に言及する際、官公署・公的機関・企業・金融機関・社寺などの組織については実名を記しますが、個人経営と思われる店舗や一般住宅については「工務店」「化粧品店」「民家」などの表現にとどめます。
(5)歴史上の自治体名・企業名などについては、原則としてその当時の名称で表記しています。また、年代については現在まで経過した時間の長さを把握しやすくするため、西暦表記を基本としています。明治・大正・昭和については随時使用いたします。
(6)
フィクションを取り上げる記事以外は当時の資料を参照の上、なるべく正確な記述を心がけていますが、既に検証するための資料が失われている事項、および一次資料の段階から誤りや矛盾が明らかな事項については推定のお話をせざるを得ないことをお許しください。また、本ブログの記事内容で明確な誤りや推論の間違いが見受けられた場合は、お手数ですがメールにてご指摘、ご指導をいただければ幸いです。
(7)ご意見・ご感想・ご要望などは
「トラムno41志村(at mark)ジーメール.com」
(日本語部分とat markは英文小文字および記号に修正してください。アルファベット大文字・スペース・ハイフンなどはありません。)
までお寄せください。
普段使いのアドレスではないためお返事など遅れることがありますが、その場合はご容赦いただければ幸いです。
ブログコメント欄は、日頃管理する余裕が取れないため設けておりません。
併せてご了承ください。
併せてご了承ください。
(8)最後になりますが、
本ブログ筆者は現在も過去においても鉄道業界関係者・板橋区政関係者・住民組織・運動等の関係者ではありません。
その方面の知己も全くおりません。
鉄道趣味の世界において執筆、撮影などでご活躍されている方々とも一切無縁です。
従って、その世界のしきたり等全く存じ上げないため、無礼な書き方と感じられることも少なくないとは思われますが、どうぞお手柔らかにお願い申し上げます。
★2016年現在の地図上に、停留場と軌道のおおよその位置をプロットしました。
恐れ入りますが、適宜拡大の上ご覧ください。
鉄道趣味の世界において執筆、撮影などでご活躍されている方々とも一切無縁です。
従って、その世界のしきたり等全く存じ上げないため、無礼な書き方と感じられることも少なくないとは思われますが、どうぞお手柔らかにお願い申し上げます。
★2016年現在の地図上に、停留場と軌道のおおよその位置をプロットしました。
恐れ入りますが、適宜拡大の上ご覧ください。