2020年3月2日月曜日

落ちないウロコ(2020年3月記)

岐阜県高山市久々野と長野県松本市に「渚」(なぎさ)という駅があります。
地元の地名も渚です。
「海がないところなのに、なぜ渚?」という疑問は昔からありました。
珍説も現れていますが、真っ当な線を狙ったと思しき説でも決定力に欠けます。


高山本線渚駅(岐阜県大野郡久々野町、現・岐阜県高山市久々野、1989年4月)

一方、私は中央本線の「南木曽(なぎそ)」駅(長野県木曽郡南木曽町)のホームで、「なぎさ」に何となく似ているね、と常々感じていました。


中央本線南木曽駅(長野県木曽郡南木曽町、左:1989年4月、右:2019年12月)


久しぶりに思い出す機会があり調べてみたら、「目からウロコの地名由来」というブログを発見しました。岐阜県にお住まいの方が書いています。

それによれば「ナギ」は「侵食地形、もしくは険しい崩壊地」を指し、「サ」は狭い土地を示すということです。岐阜県のほうは飛騨川にへばりつくような小さい集落で、高山本線が通り、一段上の斜面に国道41号線があります。見事に説明がつきます。

松本市のほうは盆地の真ん中で見通しがよく、平凡な住宅街と、かつて国鉄から貨物列車が乗り入れていたというヤード跡に建てられた工場がいくつかあるところです。一見崩壊地とは関係ないようですが、3つの河川に挟まれた地形で、かつてはたびたび氾濫が起きていたと推定され、運ばれてきた土砂が堆積してできた土地ということです。以下私見を加えますが、いずれも「川の波打ち際」と掛詞にする形で「なぎさ」の読みと「渚」の文字が当てられていったのでしょう。


アルピコ交通上高地線渚駅(長野県松本市、2019年12月)

渚駅ホームと美ヶ原(長野県松本市、2019年12月)

「南木曽」の由来も同じで、古代「ナギ」には「那岐」などの文字が当てられていたといいます。私の直感も間違いありませんでした。

ここまではよい切れ味を見せていますが、板橋の地名由来に言及している記事に関してはあいにく疑問符をつけざるを得ません。

「イタ」は「傷む」、「ハシ」は「端」で、川のない丘陵地の崖や階段状の斜面に多くみられる地名と説明されています。板作りの橋に由来を求めるなど恥ずかしいことだと、板橋区を盛大にdisっておいでです。

が、板橋宿の近くには石神井川があります。その水利で栄えた土地です。
宿場の南西側には谷端川もあります。
かつて都電が通った中山道新道(国道17号)は尾根道で、今の都営地下鉄三田線はその尾根を掘って作られました。旧道は尾根の東側を通っています。
「川のない丘陵地の崖」にはあてはまりません。

失礼ながら、志村地域と混同されていらっしゃらないでしょうか。
板橋と志村は単に現在の行政権が一緒になっているのみで、元々は異なります。
志村の崖線ならば川からはやや距離があり(出井川、蓮根川、前谷津川などの小河川はあります)、階段状の斜面も旧志村の中台や小豆沢にたくさんあります。ちなみに小豆沢も、小豆を積んだ船は俗説で、崩壊斜面を指す「アズ」に由来するといいます。北海道の北竜町にもかつて「小豆沢小学校」があったようです。

作者さんは書籍「地名用語語源辞典」(1983年)に掲載されている、「動詞”イタブ”(傷む、傷む)の連用形で、物が損なわれることを意味することから崩壊地形を示す」説を採用されているでしょうか。その御説に従うならば、志村こそ「イタ」の「ハシ」と名付けそうなものですが、実際はそうなっていません。篠が生い茂る原野だから「篠村」から転じたとも言われています。

Webサイト「四万十町地名辞典」には、他の説も掲載されています。
出典は書籍「民俗地名語彙辞典」(1994年)で、「イタ」は(1)波の静かなこと、(2)潮の古語、(3)城址の丘端の崖地と解釈されているとのことです。崖地説を取るならばますます志村のほうに当てはまり、板橋町からは遠のきます。この地域の城址はまさに志村城で、板橋地域にはありません。

板橋区の東側は、古くは「豊島郡広岡郷」と称していました。
「豊島」は「尖・洲・間」で、「とがって突き出た高い土地の間」を意味していますが、その中でも比較的広い台地部分を「広岡」と称したとみられます。その台地が尽きて、石神井川に向けて段丘になっている地形を「イタ」(波の静かな河川)に向かう「ハシ」(端)と名付けたと考えるほうがより妥当かと存じます。

書籍の出版準備中とブログに記されていましたが、恥のかき返しがないようにお願い申し上げます。 遠くにお住まいの方には、板橋と志村の違いはなかなか実感できないものでしょうか。どうもウロコが落ちかねるお話でした。


以下全くの余談ですが、松本市の渚駅は松本電鉄上高地線で、今は「アルピコ交通」という信州中部の交通を総合的に担う企業が経営しています。そのアルピコ交通の東京営業所は東坂下の中山道沿いにあります。かつて国際興業バス志村営業所があった場所です。道理で何年か前から、白地に黄色とピンクの帯をつけた松本行き高速バスの回送車をよく見かけるようになったのでした。