(三冬社、2009年)
この本は都電・鉄道本ではありません。2009~2010年ごろ静かなブームとなった「地域歴史写真集」の一環として出版されました。
板橋区の道路、川や橋、学校、農業、工業、住宅、商店街、そして駅や鉄道について昭和30~40年代を中心に貴重な写真を紹介して、随所に地域の人々の証言を織り交ぜています。「光学の板橋・志村」や、大日本セルロイドのフィルム開発などのエピソードはこの本で知ることができました。
都電志村線に関する写真は、鉄道専門雑誌・書籍よりもはるかに充実しています。“中央”に無視されがちな地域だからこそ、この本の存在は貴重です。プロの写真家が撮影した作品にはかなわないかもしれませんが、街のふんいきはよく伝わりますし、貴重な8000形夜景写真も掲載されています。車内風景写真を表紙に採用していることが、一番の特筆事項でしょう。編集者さんはなかなか見る目をお持ちです。その一方で、板橋地区に偏っていて、志村地区、とりわけ小豆沢町付近の写真が掲載されていないあたりは残念でした。やはり撮影した人はいなかったのでしょうか。
本ブログで紹介した大和町停留場位置の移動、平和相互銀行ビルの建設過程なども丁寧に見て行くと把握できますが、時系列順でも、停留場順にもなっていない点が残念です。撮影場所もほとんど記されていないため、2016年の夏はほぼ丸ごと検証作業にあてました。おかげさまで実際に歩いてみることの価値に、改めて気づかされました。
都電に関する解説文は、最初に市電が開通した際の旧24系統について「系統番号は、車庫(営業所)ごとにつけられた」と、誤記がみられます。営業所単位の番号は関東大震災で命脈を絶たれていて、昭和に入ってから開通した板橋線には関わっていません。
「東京都交通局50年史」(1961年=昭和36年)では、板橋町十丁目-志村(坂上)間の軌道改良記録に一節をあてています。開通日(電車の運転開始日)と前後する区間もあります。軌道の「敷設」と「改良」は異なり、開通日時点では敷石などが不足していてレールだけ仮置きした状態だったといいます。それではすぐに脱線してしまうため、都心方面の休止路線から資材をはがしてきて、届き次第改良工事に着手していたのでしょう。
本書の説明文では各町会から女性と高齢者中心に駆り出されて勤労奉仕した、と記されていますが、おそらく軌道改良工事の話と推定されます。戦後交通局で改めて本格的に工事を行い完成させたといいます。
本書の説明文では各町会から女性と高齢者中心に駆り出されて勤労奉仕した、と記されていますが、おそらく軌道改良工事の話と推定されます。戦後交通局で改めて本格的に工事を行い完成させたといいます。