2016年11月27日日曜日

西巣鴨2016

西巣鴨停留所。(2016年5月)
滝野川五丁目を発車すると、左側は商店や小さな町工場が並ぶ。右側はゆったりとした景観で、北区立滝野川第二小学校の校庭が道路に面している。その隣に、三菱銀行の看板の裏側が望める。大きな交差点が近づく。ポールを架線にトレースしつつ進むトロリーバスの姿が見える。渡り線ポイントの音が響き、志村橋方面停留場を右に見る位置まで来たら赤信号で停止。交差点の両側は、ESSOとシェル石油のガソリンスタンド。信号が変わり、動き出したらすぐに西巣鴨停留場である。

☆トロリーバスの交差点

西巣鴨はかつて北豊島郡巣鴨村で、巣鴨町(巣鴨駅近辺)と並存していた時代もあった。池袋は巣鴨村大字のひとつであった。そのため、今でも「西巣鴨は巣鴨とは異なる、むしろ池袋に近い。」という意識が住民に残っているという。
都電追放50周年の西巣鴨交差点。
滝野川ガスホルダー(高速道路奥)に代わり
タワーマンションがランドマーク。(2016年5月)
西巣鴨の中心は国道17号と明治通りの交差点。国道17号の通称は、ここを境に北が「中山道」、南が「白山通り」である。従って、板橋区内に白山通りは存在しない。誤解していらっしゃる方がお見えゆえ、あえて記す。

西巣鴨交差点。(2016年9月)
かつてこの交差点では都電板橋線と都営トロリーバスが交差していた。いずれも直流600Vのため干渉のおそれはなく、都電どうしの交差点と同じ要領で架線を引いていたのだろうが、シンプルカテナリーは西巣鴨停留場の手前で一旦途切れて、トロリ線1本のみに変わっている。新庚申塚で滝野川線と交差する地点までこの措置が取られていて、架線の交差に神経を使っていたことをうかがわせる。

トロリーバスは軌道を敷設する必要がなく安価で建設できるため、ガソリンが高価で質も芳しくない時代には「新時代の交通機関」ともてはやされた。交通局は1949年(昭和24年)に、以下の区間について運輸省に免許申請を行っている。

1)上野公園-鶯谷駅-浅草観音-業平橋-押上-亀戸四丁目
2)亀戸駅-一之江-今井橋(江戸川区)
3)新橋駅-品川駅-中目黒-大橋-渋谷駅-四谷三光町(新宿区)-池袋駅-西巣鴨-王子駅-尾久駅-大関横丁-三ノ輪二丁目-寺島町二丁目-亀戸駅
4)東洗足-大崎広小路
5)巣鴨駅-戸田橋

1)は都電の軌道を敷きづらい上野の崖線を通り鶯谷地域の交通を至便にする。(2)は大正時代に城東電気軌道が敷設したものの、荒川や中川に橋梁を作ることができずに都心の路線との接続の見込みが立たない“離れ小島”路線の都電一之江線(26系統として案内されていたが、木造の小型車のみで運転され、系統板は作られず「東荒川行」「今井橋行」の短冊状板で十分だった。)を置き換えて、総武線から遠く離れた江戸川区中央部と都心方面の直通交通機関を作る。
4)は東急の牙城に切り込む。

という意図があったものとみられる。対して(3)と(5)は、昭和初期に新しく整備された都心と郊外の接点地域の道路(明治通り、白山通り、中山道)に作ろうとする計画であった。

運輸省は、既に都電の軌道があるところはよほど不便でない限りそれを有効活用してください、山手線の外側で東急と重なるところは遠慮してくださいと考えたのだろう、(4)(5)は不許可、(3)は都電1系統と重複する新橋駅-品川駅をカットして(1)(2)とともに認可した。板橋区議会は都電の志村坂下方面延長かトロリーバスのどちらか一方にしてほしいと頼んでいたと伝えられている。区議会でも、都電軌道に対する地元住民の信頼が強い上、トロリーバスでは志村橋を越えて舟渡まで行けるとはいえ、自動車通行が多い時間帯にはどうも心もとない、できたら都電にしてほしいと考えていたことであろう。

これを受けて交通局は(1)と(2)をつなげて、(3)は池袋で系統を分割して、東側は三ノ輪二丁目から亀戸方面に加えて浅草方面にも運転することで計画を確定。(1)(2)は101系統として1952年(昭和27年)520日開業(都電一之江線26系統は前日運転限りで廃止)。
3)の西側は102系統、東側は103104系統として19551958年(昭和3033年)に順次開業した。

この頃の交通局には熱心なトロリーバス信者がいたようで、高松吉太郎さんのお話によれば、運転や経営が軌道に乗れば都電の中でも利用の低い33系統などをいずれトロリーバスに転換したいという話題が登っていたという。利用率もさることながら、港区には狭小な道路に軌道を敷いてあるところが結構多く、坂道も少なくないため、自動車が増えてくると軌道の保守に難儀するという事情もあったものと推察する。

しかしトロリーバス推進計画はあっけなく頓挫する。
まず、他鉄道路線との交差方法の問題。

101系統は国鉄・東武・京成とも全て立体交差だったため顕在化しなかったが、明治通りの系統は平面交差がたくさんあることが問題視された。
いわゆるデッドセクションを置く案なども立てられたようだが、国鉄や京成などから相当怒られたようで、他路線との交差点では一旦ポールを下ろして補助エンジンで通るという本末転倒に近い解決策に頼らざるを得なかった。同電圧規格の都電路線との交差にも、ショートを防ぐためか、特殊な金具を用いていたという。

電気駆動のモーターも都電車両に比べてあまり丈夫ではなかったようで頻繁に故障して、自動車が増えてくると軌道がないことが裏目となり、都電より先に渋滞の影響が及んだ。ポールが架線から外れて動けなくなる事故はほとんど日常的に発生していたという。そのうちにガソリンが安定供給されると一般の路線バスと性能上の差がなくなり、路面電車とバスのいいとこ取りを目論んだはずが、いつのまにか欠点だけを持ってきたような状態に陥った。

それでも都電の一部路線よりは長く生き延びたが、1968年(昭和43年)に全線廃止されている。私は根津宮永町の交差点を曲がり、言問通りの坂を登る101系統のモスグリーンとクリーム色をよく覚えている。トロリーバスは不忍池の脇をまっすぐ進むのに、どうして都電はわざわざ遠回りするのだろうと不思議に思っていた。また、「今井」とはどのようなところなのだろうとずっと考えていた。

101系統はわりと存在感があったが、西巣鴨を通る系統は都電や自動車にはさまれて肩身が狭かっただろうと察する。しかし一般の路線バスに変わってからは地域の重要路線となり、池袋駅東口-渋谷駅東口の池86系統、池袋駅東口-浅草雷門の草64系統とも健在である。(101系統も上26系統、亀26系統として運転されている。)草64系統は今でも時折乗車する機会があり、乗客の賑わいを肌で感じられる。池86系統も、副都心線が開通して数年過ぎた現在でもな固定客がついているように見受けられる。

板橋区議会では都電の志村橋開通後、「次は池袋-成増間のトロリーバスを作ってほしい」と交通局に請願していたという。この企図はさすがにつかみかねる。当時から東武がそれほど使いづらい路線だったということでもなさそうだし。この時代、現在の光が丘は米軍からの返還前で、グラントハイツと呼ばれていた。周辺の住宅地も東武と国際興業バスで十分用事が足りていただろう。唯一考えられる用途としては、東武の駅から遠い大谷口・小山・茂呂地区の救済だろうか。池袋駅西口の整備はかなり後の時代で、バスの増便も限界があった。しかしその目的でトロリーバスを誘致するのならば、当時から相当混雑していた川越街道にこだわることもないし、上板橋の五本けやき付近終点で十分と思われる。

交通局はそれよりも志村地区の都電交通網を充実させたいと考えていたようで、その案に乗るほうが区政にとってはるかに得策だったと思えてならない。

☆西巣鴨折り返しの18系統?

196411月に実施された都電の乗客数調査の表では、運転本数の欄に「板橋本町-西巣鴨 453」「西巣鴨-巣鴨車庫前 459」と記されている。すなわち、西巣鴨の渡り線を使って折り返す運用が6本あったことになる。これは18系統例外で処理されていたのだろうか。35系統の可能性はまずないだろう。おそらくは朝のラッシュ時運転だったものと考えられる。廃止直前の運転計画表には西巣鴨止まりは掲載されていない。

西巣鴨は板橋線最初の開通区間で、旧巣鴨村以来の街がまだ力を持っていたことや、定期券では都電とトロリーバスの乗り継ぎ券が販売されていたことから、相応の需要があったと考えられる。西巣鴨という名前だからといって、巣鴨のおまけではないと主張する心理には十分理解が及ぶ。
北区飛鳥山博物館図録「都電がすむ街」掲載写真撮影地付近。
(2016年6月)


☆停留場データ

開設日:1929年(昭和4年)419
旧名称:西巣鴨町(1929419日~1946年ごろ)
改称日:1946年ごろ
設置場所:<巣鴨方面>豊島区西巣鴨四丁目479付近(現・豊島区西巣鴨四丁目14付近) 
<志村橋方面>豊島区西巣鴨四丁目501付近(現・豊島区西巣鴨丁目25付近)
志村橋からの距離:営業キロ6.9、実測キロ6.885
停留場形式:志村橋方面のみ安全地帯設置?
停留場標:<志村橋方面>交通標識併用型
その他:志村橋方に渡り線設置

☆本停留場付近で撮影された写真が見られるメディア

(1)「わが街わが都電」176ページ
18系統志村坂上行き6143 ※撮影場所は推定

(2) 図録「都電のすむ街」26ページ
18系統巣鴨行き6100ほか1
※説明文に誤記あり

(3) 書籍「都営交通100周年 都電写真集」137ページ
系統・行先不明2両 撮影:阿部敏幸

(4) 雑誌「鉄道ピクトリアル 19668月号」表紙
41系統志村橋行き6100 最終日装飾車 カラー撮影

(5) 個人ホームページ 18系統神田橋行き7063 対向車両から撮影 渡り線確認